2007年8月8日水曜日

DAY 10・11 さらばカンボジア、台北へGO!












8月7日(火)
朝7時半前にチェックアウト。宿の前にいたトゥクトゥクでぷノンペン国際空港へ向かう。ドライバーは年配の人でとても腰が低い。荷台を牽いているバイクはおんぼろバイク。町の中心部を抜けたところで、路上のガソリン屋で給油。ドライバーは待たせることを申し訳なさそうに「ソーリーソーリー」と言ってくる。カンボジアでは大き目のジュースなどのペットボトルヤビンにガソリンを詰めて、それを道端で並べてガソリンを売っている露店が多い。給油が終わり再出発。少し走ったあたりからドライバーが何やらエンジンのあたりを気にしだす。間もなくまたトゥクトゥクを止めて、「ソーリーソーリー」と言いながら、エンジンを点検し始める。何かが調子悪いらしい。それほど時間はかからず、問題は解決したのかわからないが、またまた出発。こんどは無事空港までノンストップ。4ドル払ってドライバーとお別れ。プノンペンの空港は以前に来たときよりも新しくきれいになっていた。チェックインを済ませ、空港使用税25ドルを払い、出国審査を受けて、いよいよカンボジアともお別れ。10時50分台北へ向けて出発。 15:30台北に到着。外は雨。ホテルのリザベーションカウンターで安目のホテルを探す。1700元のホテルに決める。安宿もあったが、最後くらいは日本並みの金額を払って安らぎを求めた。市内へ向かうバスに乗り、チェックイン。ショウロンポウを食べる以外は特にやることがなかったので、前回来たときと同じようなコースを巡ってみた。龍山寺、西門、TAIPEI101。そして腹もすいてきたので、士林夜市へ行き、前回はなぜか台北でも香港でも食べなかったショウロンポウと、えびチャーハンを頼む。屋台らしく安っぽいショウロンポウだったけど、おいしかった。帰りに足つぼマッサージをしてホテルへ。 8月8日(水) 今日はいよいよ帰国。朝6時半にホテルを出て、バスで空港へ。チェックインをやら出国手続きを済ませて、今は出発フロアーの片隅にあるインタネットサービスで日記を書いている。台北南部では台風が通過したそうだ。でも北部のこの辺は大丈夫。 この旅の日記はこれで終了。帰国後まずは何を食べようか頭がいっぱいだ。カツカレーか、ウナギか・・・

2007年8月6日月曜日

DAY 9 番外編「ポル・ポト、テメぇー!」












今日は、わずかな時間だったが、改めてカンボジアの悲しい歴史に触れてきた。トゥール・スレン博物館は以前学校だった建物。4棟ほどの3階建ての校舎がコの字型に並んでいる。まずは拷問を行っていた鉄製のベッドと足かせがそのまま残されている部屋(教室)がある棟に入る。重い空気が感じられる。どの部屋にも寂しく鉄製の骨組みだけのベッドとアシかせがぽつんと置かれており、壁にはここで拷問を受けて殺された人の写真が飾られている。2階、3回にも同じような部屋がある。どの部屋も入ってすぐ横の壁には黒板があり、以前は教室として使われていたことを物語っている。次の棟には教室が細かくレンガで仕切られた独房が残されている。この暗く狭い場所で独り、殺される恐怖と戦っていた心境を想像すると恐ろしくなる。次の棟には収容されてた市民の写真が無数に展示されている。どの写真も悲しそうな、そして呆然とした無機質な表情ばかり。ここに収容され、殺されるのを待っていた彼らの心境がリアルに感じられる。さらに先へ進むと、いくつかの拷問の道具と、その使われ方の写真や絵がある。よくもまあ、こんなに惨いことをしたもんだ。ここまでくるとだんだんと腹立たしさがこみ上げてくる。ここで殺された多くの死体はキリングフィールドに運ばれた。キリングフィールドと呼ばれるその場所には無数の死体が埋められていたそうだ。さらに、したいが掘り起こされた草むらの片隅に「子供をたたきつけた木」という説明の看板が立てられている木があった。なんてことを…。掘り起こされた多数の穴のそばに大きな慰霊塔が立っており、その中には無数の遺骨と、衣類が安置されている。ここまでの残酷な真実を目の当たりにすると、どう受け止めていいのやらわからなくなる。ただただ、目の前の光景をあっけなく、そして呆然と見るしかできない。 なんてことをやらかしたんだ奴は!何がそうさせたんだろうか?同じ過ちをこの世界からなくすためには何をすればいいのだろうか??

DAY 9 はるばる来たぜプノンペン
















8月6日(月)



今日は朝から雨。いよいよシエムリアプ出発。6時半にキャピトルツアーのオフィスへ行き、バスターミナルまでの送迎バスに乗る。15分ほどするとたくさんの長距離間バスが停まっているバスターミナルに到着。今日はここからプノンペンを目指す。フロントガラスに「C」と書いてあるカードが貼られたバスに乗る。中はエアコンがききまくっていて寒い。トレーナーを出しておいて正解。定刻より20分ほど遅れてバスは出発。ipodで音楽を聴きながらすぐに熟睡。目が覚めると、第1回目の休憩タイム。終点まで2回の休憩タイムがあった。午後1時半、6時間かかってようやくプノンペンに到着。バックパッカーのメッカでもあるキャピトルというゲストハウスの前でバスから降りた。キャピトルから小道を少し行ったところにあるナイスゲストハウスという宿にチェックイン。1泊10ドル。値引きもできそうだったけど、即決め。荷物を置いてわずか半日のプノンペン観光。とは言っても、ここにくるのも3度目、もう行くところが決まっている。カンボジアの歴史の復習観光。トゥクトゥクを5ドルで雇い、まずはキリングフィールドへ向かった。ここはポル・ポト政権の時代にプノンペンで殺された多くの市民が埋められた場所でもあり、ここでも多くの人が殺された。シエムリアプのものよりも大きな慰霊塔の中には無数の遺骨が安置されていた。周辺の草むらにはあちこちに大きな穴が掘られており、そこから出てきた遺骨を安置しているのだ。次に向かおうとしたときドライバーが「見るだけでもいいからすぐ近くの射撃場へ行こう」と言って、射撃場へ連れて行かれた。実は5年前にも別な場所だったけど射撃場へ来てM16と拳銃を撃ったことがあった。今回は特にその気はなかったので、射撃場と、たくさんの銃を見て帰ってきた。で、次に向かったのがトゥール・スレン博物館と呼ばれるポル・ポト時代の負の遺産。ここは元学校で、多くの市民が収容され、拷問を受けたり、殺されたりしたところだ。何度きても、気持ちがどんよりし、悲しさや、腹立たしさが、複雑に沸き立ってくる。歴史復習ツアーを終えて、宿から歩いてオールドマーケットへ向かう。やはり首都だけあって、ものすごい数の人と、車と、バイク…。途中疲れたのでラッキーバーガーというハンバーガーショップでハンバーガーとオレンジジュースを飲む。ハンバーガーは一番シンプルなやつで1ドル。日本のマックより高い。オールドマーケットはメインの建物がもう閉店しており、周辺の屋台や露天を見学した。あちこちから炭焼きの匂いや、炒め物匂いがしてくる。そろそろうす暗くなってきたので、バイクタクシーを捕まえて、日本人が経営しているクラタペッパーという店でカンボジアの胡椒を買う。明日はいよいよ台北に戻る。今回は飛行機の接続が悪いので台北で1泊する。何を食べようか今から楽しみだ。

2007年8月5日日曜日

DAY 8 チャリでアンコールワット
















8月5日



予定では今日の朝、ここシエムリアプを発とうと思っていたが、もう一日延ばした。今朝は遅めにおきて、ホテルの自転車を借りて出発。次の町までのバスを扱っている代理店で明日朝のバスを手配する。朝ごはんは何を食べようか自転車をこぎながら自分の腹と相談するが、なかなか答えが出ない。そのまま町から出てしまい、朝ごはんを食べるタイミングを失った。北へ向けて自転車をこぐ。空はどんより曇り空。嫌な予感。少しずつ雨が降ってきた。スコールまではいかないが、長続きしそうなレベルの雨。周囲には青空も見えない。途中、木陰を見つけて雨宿り。バイクタクシーのドライバーも4,5人雨宿りしていた。そのうち1人のドライバーがこちへやって来て話を始めた。昼間はバイクタクシーの仕事をして、夕方から夜間学校に通い、将来はどこかの会社に入りたいと身の上話をしてきた。今日の天気予報を聞くと、やはり一日中雨だそうだ。チャリの選択失敗。でも引き返すのも面倒なので、そのまま行くことにする。雨宿りをしていた、すぐ目の前がこの町のキリングフィールドだった。そこはポル・ポト時代に虐殺された多くの人の遺骨を慰霊塔の中に安置しているところで、敷地内には当時収容所として使われていた建物もある。今は僧院になっており、僧侶の姿があちこちに見られる。このようなキリング・フィールドと呼ばれる場所はカンボジア各地に存在するそうだ。そこを後にして、雨の中、アンコールワットを目指す。4分くらいかかり到着。天気が悪いせいか一昨日来たときよりもはるかに人の数が少ない。入り口からゆっくりと写真を撮りながら中へと入っていく。やはり人がまばらで、とても落ち着いて見学することができた。中央の塔まで時間をかけてたどり着いた。中央の塔へは階段で登ることができるのだが、その階段が45度くらいある超ハードな代物だ。何度登っても足がすくむ。中央の塔に登ってみると、そこもほとんど観光客がおらず、初めてここへ来たときのように、ゆっくりと静かに時間をすごすことができた。たっぷりとアンコールワットを堪能した後、次はまたアンコール・トム内のバイヨンという寺院へ向かった。ここも人が少なく、ゆっくりと見学できた。雨だけど、今日はラッキー!一通り見て、いよいよこれら遺跡群ともしばらくのお別れ。次はいつ会えるのだろうか。アンコールワットを背に、町へ向けて自転車をこいだ。あっ、ご飯食べてない!時間はもう午後2時を過ぎていた。雨も振り続けている。疲れて、服もぬれて気持ちが悪いので、どこか綺麗で、冷房の効いているところを探す。昨日寄った、アンコールワット・クッキーを売っている店のカフェに入る。残念ながら食事のメニューはなかった。仕方ないので、スイカのシェイクを飲む。少し休んで、再スタート。なんとなくカレーが食べたくなったので町中でインド料理屋を探す。先日食べたところよりも質素な店を発見。ノンベジタリアンターリーを注文。ここのカレーはうまかった。豊平峡温泉には負けるが…。さて、これでこの町でのメニューは終了。いよいよ帰国の準備を始める。

2007年8月4日土曜日

DAY 7 初プノンクーレン、またまたまたバンテアイスレイ
















8月4日(土)



朝8時に、ドライバーのヤンと出発の約束をしていたので、5分前行動でホテルのロビーに下りる。まだ姿はない。隣の食堂でパンケーキをテイクアウトで頼んで、出来上がるまでバナナシェイクを飲んで待つ。なかなかヤンが来ない。パンケーキも出来上がり、ホテルの玄関先にあるいすに座って待つ。なかなかヤンが来ない。パンケーキを広げて食べる。なかなかヤンが来ない。するとホテルの従業員が「ドライバーから電話が入ってるよ」と呼びに来たのでフロントの電話に出るとヤンだった!!「寝坊しました。ごめんなさい。今すぐいきます。」結局50分遅れでヤンが到着。昨日のうちに今日向かうプノンクーレンのチケット代を20ドル払って買ってきてくれることになっていたので、まさかそのまま…という心配もしたが、ちゃんと来てくれたことに嬉しくて、普段だったら50分も待たされたら切れているところを、今回は特例の仏心で許してあげた。そして出発。1時間ほどは田園風景の中を走る道路が舗装されているので、のんびりと畑仕事をしている人たちの姿を見ながらくつろげたが、途中から土の道になった。カンボジアによくある赤土の道。この道になったとたんあちこちに水溜りやでこぼこがあり、ゆっくりと風景を眺めてはいられない。これぞカンボジアンロード!ホテルから1時間半くらいのところでプノンクーレンの山のふもとのチェックポイントに到着。ここから道が険しくなるので、トゥクトゥクの荷台をはずし、バイクで2人乗りして山を登る。30分ほど山の中を走りぬけ、目的地に到着。川底にある彫刻や、岩をくりぬいて作った大仏を見た後、ハイライトの滝を見に行った。ここはカンボジア人たちがピクニックに来て、水浴びをしたりするようなところ。林の中の階段の道をしばらく降りて、岩の合間を潜り抜けると、目の前に大きな滝が現れた。マイナスイオンたっぷり!!滝つぼ周辺はプールのようになっていて若者たちが泳いでいた。しばらくマイナスイオンを全身で感じて、引き返す。近くに彫刻がきれいに残っているバンテアイスレイという遺跡があるのでそこに立ち寄る。ここも毎回訪れているところなのだが、やはり来るたびに、状況が変わってきている。初めてきたときは立ち入り禁止ゾーンなどなくきれいで貴重な彫刻を間近で見ることができたが、今は完全にロープが張られ、離れたところからそれを見学できなくなっている。残念。そして人の多さ!!こんな場所に不自然なほどの数の観光客が団体で押し寄せてきている。昨日のアンコールワットよりももっと韓国人の団体が多い。どうしたんだ韓国??最近行く国々、どこでも韓国人だらけなんだけど。そんな遺跡を後にして、次は地雷博物館と呼ばれている施設に向かう。つい最近場所を変えてリニューアルしたばかりだ。ここも前回訪れて、感動した場所だったのではずせないスポットだった。自らが兵士として地雷を埋めてきた一人の男性が、平和になった今、その償いとして地道な地雷除去活動を行っており、そこで除去された地雷や不発弾を展示して平和を訴えている施設だ。前回訪れたときの古い建物とは段違いにきれいに、そして立派になっていた。ここでもカンボジアの悲しい歴史のほんの一端を味わうことができる。今の自分には何ができるのだろう…?町に戻り、オールドマーケットで買い物をし、クメールキッチンという食堂で魚の炒め物を食べる。もう一日この町に滞在することに決めた。

2007年8月3日金曜日

DAY 6 久しぶり!アンコールワット!
















8月3日(金)



夕べは、顔、首、腕、膝、すねがヒリヒリ痛くて、何度も目が覚めた。フツーだったら問題ないのだが、エアコン付の部屋が恋しい。よし、今日は宿をグレードアップさせよう。洗面所の水も排水が一度壁の中に入っていくように見えるが、ふと床を見ると、小さな穴からボコボコボコって泉のように排水が湧き出し、シャワーの排水溝に流れていくという仕組みになっていた。この手の宿ではありがちなのだが、プチ神経質な俺はより質の高い宿を求めて、午前中に町に出た。何件か部屋を見せてもらって、最後に決めたのが、オールドマーケットの近くの地味だけど小奇麗な宿。エアコン、ホットシャワー、付で13ドル。しかもテレビも冷蔵庫もついている。そしてものすごくキレイに保たれている。これで快適な居場所を確保できたので、日焼けに苦しんでいる体も癒されるはずだ。午後から10ドルで雇ったトゥクトゥクで軽く遺跡めぐりに出かける。ジャングルの木に飲み込まれそうになっている「タプローム」、ピラミッド型の「タケオ」、濃密な空気が流れる「バイヨン」を見た後、近くの食堂で遅めの昼ごはん。野菜と卵のチャーハンを食べた。途中、周りのみやげ物売り屋の人たちがあわただしく動き始めた。空が急に暗くなり始めたかと思うと、いきなりスコールが降り始めた。10分ほどで収まったので、すぐに次へと向かう。「アンコールワット」。5年ぶりのアンコールワットは遠くからも見えるほどの修復用のシートがところどころに張られており、さらに想像を絶するほどの観光客の数で、前回とはまたかなり雰囲気が変わってしまっていた。9年前に初めて来た時は、修復作業も目立たず、団体客なんてほとんど見なかった。それが、数え切れないほどのバスと、添乗員の後ろをついて回る数え切れないほどの団体ツアー客。以前は静かだった回廊も、今回は渋滞状態。立ち止まってガイドの説明を聞いている人たちを次々と追い抜いていく。韓国語、日本語、韓国語、韓国語、中国語、日本語、韓国語、フランス語、日本語、韓国語…、ってな具合に各国のグループが次から次へと並んでいる。我が物顔をするつもりはないが、こんな光景は残念だ。さらに、崩壊が進んでいるため、ここへ来るたびに、アンコールワットの姿が修復のための足場や、シートで覆われて隠されていっているのがものすごく残念だ。初めてきたときは、正面の頂上まで延びる階段が綺麗に姿を現していて、そこから頂上まで登ることができた。さらに人もこんなにおらず、時々僧侶たちが歩いていたりして、静かな空気が流れていた。ところが今はその静かな空気がどこかへ行ってしまったようだ。大好きなカンボジアを支えている観光資源だから、このある意味での急成長ぶりを喜ぶべきなのだろうが、あのころの良き姿を知っているだけに寂しい気持ちでいっぱいになった。明日も来ることにして、今日は軽く済ませて、宿に戻る。シャワーを浴びて、オールドマーケットや、レストランやカフェやおしゃれな雑貨屋がならぶバーストリートを散策する。ふと通りがかったカーマスートラというかなり綺麗目のインド料理屋についつい自然と体が吸い込まれて、インドカレーの定食「ターリー」とラッシーを頼んだ。味は…、まずくはないが、豊平峡温泉の5分の1くらいのおいしさでした。特にナンはお粗末なものでした。この辺では高級の部類に入るレストランなのに…。明日は郊外へ足をのばす。今夜は快適な部屋が俺を待っているかと思うと、早く帰りたくなってきた。では。

2007年8月2日木曜日

DAY 5 ボートでシエムリアプ












8月2日
今日は朝から天気は曇り。ボートでの長時間移動なのだが、雨は降らないだろうか。ホテルに迎えに来てくれたワゴン車に乗り、ボート乗り場へ向かう。途中でもう1人乗ってきた。彼女はフィンランド人で、旅行プラス何かの調査でしばらくカンボジアに滞在しているそうだ。ボート乗り場に着くと、もうすでに出発準備完了。俺たちが一番最後の客だったみたい。平べったい、屋根付の客席があるボートなのだが、本来は荷物を積むはずの屋根にも乗ることができる。以前にもプノンペン行きのボートで試してみたことがあったので、迷わず屋根に乗る。スピードボートと呼ばれているわりにはゆっくりとした速さで川を下っていく。川岸には高床式の質素な家が並んでいる。その向こうにはただただ草原が広がっているだけ。午前中の早いうちは、この屋根の席は風が気持ちよく快適だった。隣に座っていた若い兄ちゃんが話しかけてきた。オーストリア人だった。大学を卒業したばかりで、世界旅行の途中だと言う。インドから出発し、タイ、ラオス、カンボジアと進んできたそうだ。出発前に買ったリュウガンというライチのような果物をくれた。甘くてさわやか!9時過ぎくらいから日差しが痛いくらいに強くなってきた。途中水上に浮かぶ商店兼簡単な食堂で休憩。ビスケットと冷たい水を買って、後半戦に備える。頭皮が焼けると辛いので頭にタオルを巻く。5時間ほどたったころ睡魔に襲われてついに仰向けになって眠ってしまった。1時間ほどで目が覚めたが、もうすっかり日焼けしてしまった。日サロに半年通ったくらいに焼けた。肌が出ているところが全て痛い。しばらくするとボートはトンレサップ湖という湖に出た。海のようにデカイ。7時間かかりようやくシエムリアプの船着場に到着。肌は黒焦げ。船から降りると、大勢のドライバーたちが客の争奪戦を始める。その中から見た目がやさしそうな兄ちゃんのトゥクトゥクをピックアップ。俺以外に2人乗るけど、1000リエル(R)でOKと言う。バッグをトゥクトゥクに積んで、他の2人をドライバーが探している間に、近くの露店で水を追加購入。戻るとすでに2人の客がトゥクトゥクに乗って待っていた。話してみると、2人ともアメリカ人で女2人旅の途中。さらに片方のアジアンアメリカンは以前に3年間日本で英語教師をしていたそうだ。10分ほど悪路を走ったところで、トゥクトゥクが止まった。タイヤを見るとパンク!!!偶然にもすぐ先にタイヤを修理できる店?みたいのがあり、そこでしばし修理タイム。やっと修理完了し、再出発。5年ぶりにやってきたシエムリアプの町は見違えるほどに変わっていた。高級ホテルが乱立して、おしゃれなカフェやレストランがたくさんできていた。そして来るたびに旅人の人数が増えている。これもこの国が平和になり、観光で急成長を目指している証拠だ。ファミリーゲストハウスという宿にチェックインした。トイレ、水シャワー、ファン付で1泊6ドル。シャワーを浴びて、ひとまず銀行へ。レートが悪いので道端の両替商で1万円をドルに換金。81ドルだった。ふと目の前の看板に目をやると「セブンイレブン??」まさかと思って近くでよく見てみたら、「セブントゥェンティ」だった。今後日本にも進出するかも。朝からまともな食事をしていなかったので、新しいレストランで、カンボジアンカレーを食べた。やはりココナツがたっぷりすぎて、俺には合わない。明日からゆっくりと遺跡めぐりをする予定。

2007年8月1日水曜日

DAY 4 バッタンバン郊外

















8月1日 朝8時、昨日お願いしていたバイクタクシー(バイタク)とともにホテルを出発し、郊外へ向かう。その前に街中の市場の食堂でサンドイッチを食べる。2人のバイクで田園地帯を1時間ほど走って、本日1つ目のチェックポイント、ワットバナンという遺跡につく。ここは小高い山の上にアンコールワットに似た遺跡が立っているところで、ミニアンコールワットと呼ばれているそうだ。頂上までは359段の階段を上らなければならない。俺が上り始めると、小学生くらいの子供たちが3人、団扇を持って付いてくる。これはこういった遺跡にはよくあることで、勝手に付いてきて、勝手に団扇で扇いでくれて、勝手にガイドをしてくれて、最後にお金をくれという、押し売りガイドなのだ。ま、そうとはわかっていても素朴な彼らに仏心が働き、追い払いもせず、ひたすら会話をしながら頂上を目指した。ところで彼らの歳を聞くと、3人とも中学生の歳だった。見た目はどう見ても小学生…。さらに3人とも流暢な英語を話す。どうやって覚えたのか聞くと、学校で習ったという。素晴らしい!やっとの思いで頂上まで上り詰めて、下界の景色を見る。見渡す限り平野が広がり、その向こうには山が見える。とてものどかで綺麗な景色だった。遺跡の片隅には塹壕があり、ガイドボーイズたちが「ここで政府軍がポルポト派に応戦していたんだ」と説明してくれてた。さらに「遠くからポルポト派がこの遺跡に砲弾を浴びせ、この遺跡を壊したんだ」と言って、崩れた遺跡の説明をしてくれた。そうしてガイドボーズ達とのひと時を終えて、次にワットプノンサンポーというこれまた山の上にある寺に向かった。ここは俺のドライバーが一緒について来てくれてガイドをしてくれた。山の上の寺の本堂の軒下で一休みしながら、ドライバーがカンボジアの歴史と自分の経験を軽石で床に図を書きながら語ってくれた。彼は1970年生まれで、75年から始まったポルポトの時代を幼少期に生きてきた人だ。彼と両親と姉は幸運にもこの時代を生き延びたけど兄はこの間に死んでしまったそうだ。話を終え、すぐそばの茂みの中の洞窟へ入る。階段でその中を降りていく。下から上を見ると降りてきたところとは別に上のほうに穴があり空が見える。恐ろしいことに、ポルポト派はあの恐ろしい時代にここで次々と穴から洞窟へ多くの人を突き落とし虐殺したそうだ。その後、ここの僧侶達が殺された人たちの遺骨を拾い集めて洞窟の下に安置している。また新たにカンボジアの悲しい歴史に触れることとなった。 下山して、ふもとの食堂で昼飯を食べてホテルに戻った。2つの山を上り下りしたので疲れ果てていたせいか、シャワーを浴びると、深い眠りについてしまった。夕方目を覚ますと、雷が鳴っている。途端にスコールが降りだした。考えられないくらいの量の雨だった。パネエ!! 明日は朝からボートでこの町を出る。

2007年7月31日火曜日

DAY 3 カンボジアへGO!








7月31日



4:00AM、フロントからのモーニングコールで目覚める。シャワーを浴びて、フォアランポーン駅へタクシーで向かう。チケットカウンタに並び、国境の町、アランヤプラテート行きのチケットを購入(48B)。5:30列車に乗り込む。始発の駅はまだ空席が目立ち、ボックスシートを独り占め。定刻の5:55分出発。日が昇るにつれて、蒸し暑くなっていく。弁当や、果物、飲み物の売り子が何度も車内を行き来する。窓の外には南国の田園風景が流れていて、さわやか。11:30頃アランヤプラテートに到着。すぐバイクタクシーで国境へ向かう。タイの出国審査はパスポートのチェックをするくらいの簡単なもの。国境を越えてカンボジア側へ。ビザ発給所でビザを取得(20$)。カンボジア側のイミグレーションで数十分かかったが無事にカンボジアin! しかしその後が大変だった。アンコールワットのある町、シエムリアプへの行く手段はすぐに見つかるのだけど、今日向かいたいバッタンバン行きについては、少々てこずった。結局、快適さと、時間の節約を優先して17$の乗り合いタクシーで行くことにした。高かったけどすぐに出発でき、しかも快適に、しかも超早く本日の目的地、バッタンバンに到着。アジーホテルというところに部屋を取る。水シャワー、トイレ、TV、ファンつきで5ドル。シャワーを浴びて、町へ。銀行で20$をカンボジアのリエルに換金。ネットができるホテルでメールのチェック。その後、本日第1食目の食事をする。質素なフードコートで、ビーフジャーキーが載せられたご飯の定食とパインのシェーク。これで1$ちょっと。コンビにでお菓子と水を買い、ネットのできるホテルへ戻る。そこのホテルでは旅のさまざまな手配ができる。明後日この町を出るボートの予約と、明日のバイクタクシーのチャーターをし、今こうして再びネットをしている。
do_decolink('diary_body')

2007年7月30日月曜日

DAY 2 束の間のバンコク












7月30日 バンコク国際空港、スワンナプーム空港。とりあえず明るくなるまでその辺で寝ようと思い、寝床を探す。出発フロアーのクッションのないベンチで就寝。 6時ころ目が覚め、1回へ移動し、無料シャトルバスで空港近くのバスターミナルへ。路線バスでバックパッカーの聖地、カオサンロードを目指す。カオサンへ向かうバスがどうやら運休か運行中止中らしく、少しだけ高い乗り合いワゴンで向かうことになった。 カオサンを端から歩きながら数件のゲストハウスをチェックする。一通り回った挙句、路地の奥のほうに位置しているかなりきれい目のところで部屋を決めた。1泊シングル450バーツ。エアコン、テレビ、ほっとシャワー付き。とりあえずシャワーを浴びて昼寝開始。 昼ころに目が覚めて、カオサンまで出て屋台の焼きそばを食べる。さて、特に何の計画もないし、何をしようか…。チャオプラヤー川を渡って、「死体博物館」というニックネームがついているシリラート病院の医学博物館へ向かう。渡し舟乗り場まで歩き、対岸までボートで渡る。病院の敷地内を博物館の入り口を探しながらしばらく歩き、それらしきところを見つけた。…と思いきや、警備員が「今日は休館日だよ。今タイは祝日なので…」ガーン。こんなに汗水流して、船にまで乗ってやって来たのに!!仕方なく、これまで何度もバンコクに来ておきながら、まだ一度も行ったことがなかった、ワットルアンへ行ってみた。中央の仏塔が超高い。上まで45度を越えているような急な階段を使って登ることができる。昇り降りする際、下を見ると足がすくんだ。 次にまた渡し舟で対岸へ戻り、ワットポーへ。ここはマッサージで有名な寺で、いつもバンコクに来たときはここでマッサージを受けていた。でも今日はやらない。 その後、ホアランポーン駅で明日の列車の時間などを確認。一度宿に戻って、シャワーを浴びてすっきりしたところで、昼寝。 夕方に目が覚めて、タクシーでチャイナタウンへ。9年前に初めてバンコクに来たときから、よく行っている中華料理店でアヒルの肉のせご飯とフカヒレとカニ肉入りのスープを食べた。 久しぶりのチャイナタウンをしばらく散歩し、カオサンへ戻る。おいしそうなデザートの屋台を発見。クレープの生地にバナナをのせ、折りたたみ、それをよく焼き、最後にコンデンスミルクとチョコレートをかけて食べるバナナパンケーキwithチョコレート。屋台のつまみ食いは楽しい。 明日は5時に宿を出る。無事に次の目的地につけるだろうか。途中までは、5年前にも行ったことのあるルートだが、最終目的地である町は、今回が初めて。列車に乗り、国境を越えて…。

2007年7月29日日曜日

DAY1 千歳→台北→バンコク


7月29日

午後3時、台北へ向けて千歳を出発。今回の旅は、かなりの気まぐれ企画。チケットを確保したのが3日前。ま、今はeチケットなのでチケット本体はないのだけど。今回利用する飛行機は初のチャイナエアライン。台北までの機体は小さく、少々お粗末。隣に座っていた小学校1年生くらいの少年がとても行儀がいい。こういう中国人ばかりだといいのに…。着陸のアナウンスが流れたとき、その少年が俺の肘をつついてきた。そしてジェスチャーで俺が下げていたフットレストを元に戻せと注意までされた。 台北では乗換えまでの時間が4時間半!!さらに空港にはいくつかの免税店とレストランが2~3あるだけ。運良く無料のネットサービスを見つけたので、そこでかなり時間つぶしができた。バンコクまでのフライトは座席の希望を出して、「前に座席がない足の伸ばせる席」を押さえていたはずなのに、一番後ろの、前にちゃんと座席がある席だった。「あのど素人姉ちゃんめ!!」千歳でチェックインしてくれた時に「足の伸ばせる席をご用意できました。」と言ってたのに!! 久しぶりのバンコクの空港は、新空港でした。スワンナプーム空港。入国審査では「微笑みの国タイ」のキャッチフレーズをまったく無視した非国民の職員が、我々を挑発するかのごとく無愛想に、そして超マイペースに作業をしやがる!!吹き矢でも持っていたらな~…。 入国手続きを済ませて、時間は午前2時…。さて、これからどうしよう…。
do_decolink('diary_body')

2007年1月10日水曜日

DAY 19 香港を彷徨う













1/10(WED)

今日は、香港ディズニーランドへ行こうかどうか迷った挙句、持ち金も少なかったので行くのをやめた。そしてゆっくり身支度をし、昼ころ街へ繰り出した。夕べの夜景もそうだし、バリ島も、そして行くのをやめたディズニーランドも彼女がいればもっと楽しめるのにな~。ま、一人旅の切なさ、黄昏も快感なんだけどね。とりあえず食事へ。昨日は少々中国人パワーに圧倒されてしまった飲茶を今日は落ち着いて楽しむことにして、ベイサイドのまあまあイイレストランに入った。昨日のローカル飲茶とはがらりと変わり、とても優雅に落ち着いて楽しめた。まずはプーアル茶を頼み、続いて点心を頼んだ。海老蒸し餃子にチャーシューまんと豚の皮をかりっと焼いたヤツとそしてご飯も頼んだ。デザートまで行きたがったが、すぐに腹がいっぱいになったのでやめた。そのあと、ベイサイドエリアを散歩。香港の映画スターの名前や手形が埋め込まれてあるストリートを歩く。ブルース・リーの銅像もあった。その後はショッピングモールを一周し、少し早いけど、ナイトマーケットへ。まずはマーケットの近くの老舗のお香屋さんで実家にお香のお土産を買った。そのあと、通りの角にあった店で名物の亀ゼリーにトライ。注文するまで中国ババアと格闘。にわかに覚えた「亀ゼリー」という中国語で注文。大きさを選べるようだ。一番小さいのを頼むと、「ええーっ、小さいのー?大きいの食べなさいよ!」とババア。亀ゼリーは苦いらしいので蜂蜜でもかけてほしかったので、身振り手振りでお願いすると、強引に「いいから、いいから!」みたいな感じで、テーブルの上にあった砂糖をドバっとかけてくれた。そして何とか食べるところまでたどり着けた。本当に中国人は常に怒っている口調。だんだん腹が立ってくる。人口が多く、大勢の人の中で自らを表現するためには、これだけ強引な怒ったような口調と、大げさなゲスチャーが必要なのだろうか。その後はナイトマーケットをぐるりと歩き、一旦宿へ戻った。そしていつものように雑居ビルの中のネット屋へ。ここの雑居ビルにはインド人が多く、あちこちに小さなインド料理の店がある。カレー好きの俺はとうとう我慢ができなくなり、カレーに手を出してしまった。ちなみに今いる雑居ビルの中はこんな感じ(左の写真)。いよいよ明日帰国。これにて旅日記を終了する。最後の晩餐はカレーで華々しく飾りこの旅を締めくくる。

2007年1月9日火曜日

DAY18 香港100万ドルの夜景!














1/9(TUE)
朝、この安宿の狭いシャワー室でシャワーを浴びようとしたら、なんと排水口から水が逆流していた。すぐに宿の従業員を呼んで何とかするように、つまり違う部屋を用意するように言ったら、すぐには何とかならなかったので、今夜と明日の宿泊はキャンセルして、隣の宿に移ることにした。今滞在している宿は巨大な雑居ビルの中にあり、同じような安宿が幾つか並んでいるのだ。シャワーを浴びて昼ころから、今日はとことん香港の街を歩きまくった。まずは香港島に渡り、飲茶を経験したかったので、あえてローカルなレストランを選び、入ってみる。ものすごい人だ。なかなか席が空かず、しばらく立ち尽くしていた。やっと空いた席に座る。円卓で、他の人と相席だ。まずはお茶を頼み、点心のワゴンが来るのを待つ。周りの人たちの様子を見ながら、いくつかの点心を食べてみた。うまい。でも人がごった返していて、とても綺麗とはいえないその状況は落ち着かなかった。しかしローカルな飲茶を体感できてよかった。2階建てのトラムに乗ったりしながら香港島の都会の中をひたすら歩き回った。途中、サトウキビジュースで喉を潤す。カンボジアで飲んだ物よりおいしかった。最後はビクトリアピークから香港の夜景を堪能した。本当に100万ドルだった。函館も負けてはいないが、金額ではかなわないだろう。っていう感じ。マジでゴージャスな夜景だった。
do_decolink('diary_body')

2007年1月8日月曜日

DAY 17 香港上陸














1/8(月)

朝6時ホテルのフロントへ行き、チェックアウト。昨日、交渉しておいたおかげで、まあまあいいワゴン車で空港まで無料送迎。快適。予定通り飛行機は香港へ。1時半頃到着。さ~て、どうしようか・・・。香港についてはほとんどノープラン。飛行機の中で少し「地球の歩き方」を読んだだけ。荷物を受け取り、税関を通過・・・あれ?荷物の番号チェック無し。台北も同じだった。他の誰かが荷物を持って行ったらどうするんだ香港よ?!!税関を出てすぐのところのホテル予約カウンターに行く。そこでは最低で9千円レベルのホテルしか扱っていなかったので、自力で探す事に。空港内にはあちこちに無料の公衆電話がある。それを使って、「歩き方」に載っていた安宿に電話する。少しだけ英語の話せるおじさんが出る。やけに「シャ、シュ、シェ、ショ」の音が多い英語で聞きづらい。しかも「OK、OK」を多発。なんとなく誠実な感じだったので、そこまでの行き方を聞き、名前を伝えて、電話を切った。指示通りエアーバスという空港と市内を結ぶバスに乗る。A21番。だいぶ都会的なところまで来たので、空港にあった地図と外の道路標識を見ながら現在位置を確認。しっかし香港はアホみたいに高い建物ばかりだ。信号で止まった時に、見えたアパートの階数をざっと数えたら40階以上あった。そんな建物ばかり。地震や火事などの災害があったらどうするのか・・・。耐震設備は万全か?避難訓練はやってるのか?ものすごい災害対応能力がある人種ばかりなのか??そろそろ目的地かなと思われるところまで来たので、注意深くバスが停まるたびに外を確認した。するとB4サイズくらいの紙に「MR.SATOSHI」と書いて俺を待っているおじさんを発見。ずっと俺の事を待っていてくれたのか?!!その誠実さに感動。実際このおじさんがいなかったら、この香港の雑踏の中、どうして良いか分からなかったであろう。おじさんについてバス停近くの雑居ビルの中へ、ドンキホーテのようにビルの中はゴチャゴチャしている。エスカレーターで4階へ。そこから階段を上って5階へ行く。ビルのほんの一角で宿を営んでいるようだ。部屋を確認。・・・!!3畳ほどのスペースにベッドが二つ。片方のベッドの足下の上にテレビが設置してあり、部屋の入り口のすぐ横に電話ボックス2つ分くらいのユニットバス。そこにはシャワーとトイレが無理矢理押し込まれてある。「おおおーっ」これが香港の安宿か。「ま、いいか」。チェックイン。少し休憩した後、街へ繰り出す。もう少し良い部屋はないか、他の雑居ビルの中へ、そこにも同じようにビルの一角で営まれている安宿がいくつかあった。その一つにあたってみる。部屋を確認したところ、先ほどの宿と変わりなし。このレベルの安宿は皆同じだと判断し、部屋探しは終了。ふと、同じフロアーのドアに目をやる。一つには「タージマハル」。もう一つのドアには「アフリカンレストラン」と書かれていた。なんとなくアフリカンレストランに入ってみる。中は、行った事ないけど、完全にアフリカだった。質素な内装、黒人の客がちらほら、俺が入って行くと皆がこっちをじろじろ見てくる。大柄な黒人の店員が来たので「座ってもいい?」と聞くと、「もちろん」。メニューがないようなので、外に出て、玄関先にあった写真で注文する料理を選んだ。大柄な店員と一緒に。トマトソースの料理と、マトン&フライドライスで迷っていたら、「マトン&・・・を頼みなさい。トマトソースのやつはサービスするから。」というのでそうすることに。コーラを飲みながら料理を待つ。こうして黒人に囲まれると、少し怖い。若い女性の店員が料理を持って来てくれた。・・・!!多すぎる!!骨付きのマトン一皿と、フライドライスが、少なめに見ても3人前以上のデカイ皿に盛られて来た。さらに、中くらいの器にトマトソースの煮物と、なぜか頼んでいない白飯が大きな皿にいっぱい盛られて出て来た。「これは多すぎるよ」と言うと、「この御飯は、トマトソースに合うから食べて。お金はいらないから」だって。チャレンジ開始。でもどう考えても食べきれる量ではない。大食い選手権並み。店の人に「多すぎるから、良かったら一緒に食べよう。」と言うと、「残しても構わないよ。アフリカ人は大食いなんだ。気にするな。」だって。なんとかマトン全部と、御飯を3ぶんの1くらい食べてギブアップ。「ごめん、美味しいんだけど、どう頑張っても無理だわ。」と言うと、「気にしないで」と若いおねーちゃんは言う。会計をしたら、「端数はいらないから」、とさらにサービス。なんて親切なんだこの人たちは。こうして香港の第1食目はアフリカンからスタートした。さて、街に繰り出そう。 ところでここのネットカフェ、マックなので写真のリサイズの仕方が分からない。店の人も「ウィンドウズなら分かるんだけど、これマックだからねー」だって。誰かマックの使い方教えて。

2007年1月7日日曜日

DAY 16 スラバヤにて

1/7 朝5時、ホテルを出発し空港へ。チェックインを済ませ、空港税なるもの25000Rp払い、中へ。レストランで、ビーフシチューみたいな料理を食べる。7:05予定通りジョグジャカルタ出発。50分後スラバヤに到着。まずはホテル探し。空港内の予約カウンターで、街の中心部にあるインナシンパというホテルを予約。3星らしい。チケットタクシーでホテルへ。チェックインしてまずは昼寝。午後から街へ繰り出そうと、シャワーを浴びようとするが、普通の蛇口とシャワーの切り替えレバーが無い。すぐクレーム。直しに来たが、時間がかかりそうなので、部屋を変えさせられた。再びシャワーを・・・。今度はシャワーのヘッド部分の手で持つあたりから水があちこちに噴き出す。頭にきて強めにクレーム。シャワーのヘッドを取り替えた。修理の人がバスルームの床を汚したので、掃除させる。外出するのにたっぷりと時間がかかってしまった。貴重な旅の時間をわずかでも犠牲にされてキレた俺はフロントへ。デューティーマネージャーとやらに散々文句を言って、誠意を見せてもらうことに。明日の朝の空港まで車で送ることで決着。旅も後半に差し掛かり、キレやすくなっている。要注意。ホテルの近くのショッピングモールで、今こうしてネットをしている。これでやっと旅日記が追いついた。このあと、ご飯を食べに行こうと思う。

2007年1月6日土曜日

DAY 14・15 ボロブドゥールでサンライズ




1/5


朝の飛行機でジャワ島ジョグジャカルタに向かう。ジョグジャの空港で7日のスラバヤ行きのチケット購入。ライオンエアー219000ルピア。ホテル予約カウンターで、ボロブドゥールの遺跡の敷地内にあるホテルマノハラを予約。325000ルピアするが、宿泊者は遺跡への入場料11$がフリーになる。タクシードライバーと交渉しホテルへ。遠くからボロブドゥールのシルエットが見える。世界最大級の仏教寺院遺跡、デカイ。ホテルにチェックイン。外にあるホテルのレストランからもボロブドゥールが見える。早速、遺跡見学。何層もの回廊からなっている遺跡を一層ずつじっくりと見ながら上へ。頂上にはストゥーパが多数あり、それぞれのストゥーパの中に仏像が納められている。そこから夕日を見たかったが17:30で閉門。一旦ホテルへ戻り、田舎町ボロブドゥールを散策する。イスラム教徒がほとんどのこの地。お祈りの時間なのだろうか、お祈りの声が町に響く。どこかでスピーカーで流しているようだ。道端の屋台でバナナ入りのドーナツを買い、食べてみる。うまい。真っ暗になった町をイスラムの祈りの声を聞きながらホテルへ戻る。


1/6


朝4:45.日の出を見にボロブドゥールへ出発。もちろん開門前なので、ホテルマノハラ主催の特別ツアーに参加しなければならない。102500ルピア。軽食と飲み物、そして懐中電灯つきだ。真っ暗な中、遺跡を登っていく。5:30過ぎ、東の空から日が昇る。遺跡の周囲に広がる森には朝もやがかかり、遠くに見える山が朝日に照らされる。なんとも言えない壮大さ。とても神聖な空気が流れる。朝日を眺めた後、再びじっくりと遺跡を見て、6:30ころには遺跡を降りた。その頃、一般の見物人がぞくぞくと遺跡に入ってくる。午前中のうちにジョグジャカルタへ移動し、ホテル探し。「歩き方」にも乗っているホテルアジアアフリカに決定。雇ったタクシーで町の市場を2つ散策した後、プランバナンの遺跡へ。日中の暑い日差しの中、巨大な遺跡を見て周り、町へ戻った。夜、ネット屋でメールの確認と旅日記を書いていたところ、いきなり停電。一度ホテルに戻り、待機。ろうそくの明かりで2時間過ごす。電気が戻ったので再びネット屋へ。一通り用を足して、この日は終わった。

2007年1月4日木曜日

DAY 13 はるばる来たぜキンタマーニ








1/4(木)

今日は朝早くから、雇ったタクシードライバー、マディとともに、バリの中部、ウブドゥに向かう。芸術好きならたまらない町であろう。だが、俺はちょっと見るだけでよかった。まずは町の南にあるモンキーフォレストというサルの公園へ行った。森の中、入り口から早々サルが出迎えてくれる。人間慣れしていてものすごく近くでサルと触れ合うことができる。次は少し郊外へ足を伸ばし、ライステラスの眺めのいいところで写真撮影。「あ、これ社会の教科書で見たやつだ」っていう景色が目の前の谷間に広がっていた。そして次は北へぐーんと走って、本日の最終目的地「キンタマーニ」!!これはこの地域がそう呼ばれてもいるし、町の名前でもある。ここは高原地帯で火山があり、カルデラができている。まずはその山の上のカルデラ湖が一望できるレストランで昼食。ご飯と色んな料理を一皿に盛って食べるナシチャンプルを食す。そのあとはキンタマーニの町へ。この辺では主要な寺院を見学。次はカルデラ湖の湖畔にある温泉地域へ。天然の温泉があるところへ行ったが、現地の人がその中で体を洗ったり、選択したり、食器を洗ったりで、汚くて温泉に浸かる気がうせた。帰りにウブドゥのマーケットを散策。ホテルに戻る前に天気がよかったのでクタのビーチへ。きれいな夕焼けをGet!
do_decolink('diary_body')

2007年1月3日水曜日

DAY 11・12 ばりばりバリ島













1/2(TUE)

とうとう無事にバリに到着。空港で、レギャンストリートという少しにぎやかな通り沿いのホテルを予約。チェックイン後、通りを散策。数百メートル歩いたところに2002年のテロがあった現場があった。今はモニュメントが出来ていて、犠牲者の名前が刻まれている。午後からはホテルのタクシードライバーを雇い、観光。基本的に海派ではない俺がシュノーケリングをしてしまった。そのままボートで亀の島と呼ばれている島で、亀やニシキヘビやオウムやコウモリと戯れた。その後、バリの代表的な寺院のひとつ、ウルワトゥ寺院へ。バリの南に位置するこの寺院は断崖絶壁に建てられ、夕日の景色が最高!のはずなんだけど、やはり今日も曇り。ま、夕日がなくてもその眺めの美しさに感動し、そのまま敷地内で行われるケチャダンスを鑑賞した。本来は屋外で行われているようだが、今日は悪天候のため屋内ステージ。大勢の観光客に囲まれての公演だったので、その神聖さに欠け、面白みがなかった。


1/3(WED)

今日はゆっくりと昼まで寝て、午後からはまたタクシーを雇い、これまたバリの代表的な寺院、タナロット寺院へ。海にぽつんと浮かぶ岩礁の上に建てられたこの寺院はやはり、その眺めが壮大で美しい。ここも夕日のスポットだが本日も雲のせいで夕日が見えず。帰りにショッピングモールに寄った後、ドライバーが2005年のテロの現場の前を通ってくれた。このあたりは店が立ち並び、ショッピングを楽しむ人で賑わう場所だ。今はその現場にはTシャツ屋が営業していた。元はカフェがあったらしい。カバンに入れた爆弾をテーブルの下に置き、爆破。「キチガイだよ」とドライバーはつぶやいた。夜にのんびりとネット屋で旅日記を書き、メールの整理をした。明日は早起きしてバリ内部へ足を運ぶことにする。

2007年1月1日月曜日

DAY 10 ロンボクで1泊




1/1(MON)


早朝に起きてビーチへ。雨は降っていなかったが、あいにくの曇り。数キロ先のロンボク島にあるリンジャニ山越しに日の出が見えるはずだが、ちょうど雲で隠れている。相変わらず周りは波の音だけ。とても静か。6:30頃諦めかけたとき、少しだけ太陽が顔をのぞかせた。初日の出万歳。今日はギリ・メノを発ち、バリへと向かう。既にバリ前の移動の手配は済んでいる。8:00、ボートでギリ・メノを出発20分ほどでロンボク島バンサル港に到着。1時間待って、次はワゴン車でレンバル港へ。2時間後到着。ところが、これでもか!というくらいの豪雨。そんな中、フェリーに乗り込み、12:30レンバル港を出発。前の席のロンボクの兄ちゃんと、隣のロンボクのお姉さんと仲良くなり、色々と話をする。外は相変わらず豪雨。さらに高波。フェリーがこんなにも傾くのかと思うほど、揺れまくる。2時間後、現地語でアナウンス。前の兄ちゃんに何て言ったのか聞くと、「波が高くて危ないから引き返すだって」だって!また2時間掛けて、これでもかというほど揺れながらレンバルへ。港は大勢の人でパニック状態。何とか今日中にバリに行かないと、ゆったりスケジュールが崩れてしまう。でもこのパニックの中同行動すればいいのか…。とりあえず今日中にバリへ行くにフェリーを捨てて、飛行機で行こう!そう思い立って、空港までの足を捜す。目が合ったワゴン車のドライバーに交渉すると25000ルピアで交渉成立。インドネシア人の家族と共に空港へ。彼らも飛行機に切り替えたようだ。空港のガルーダ航空のカウンターで問い合わせてみると、今日の便は既に満席。でも明日朝一の便が1席空いていたのですぐにチケットを購入。空港のホテルリザベーションカウンターで手ごろなホテルを予約して、今夜はロンボク島のマタラムという町に足止め。

DAY 8・9 ギリ・メノでの年越し 













12/30、12/31 



ギリ・メノでは、本当にのんびり過ごした。海で泳ぐ以外は何もすることがない。毎日、ぶらぶら散歩をしたり、食堂で時間をつぶしたり・・・。島を見て回るとしても、2時間あれば浜辺づたいに島を一周してしまう。ここの島は時間もゆったり流れ、さらに人々ものんびりしている。何も急ぐべきものがないからだ。まさにリラックス空間である。ただ、今は雨季なので、なかなか青空にめぐり合えない。夜、浜辺に出ても星が見えない。夕日を見に島の反対側へ行っても太陽が見えない。大晦日の夜は、隣の宿で何人かの欧米人が飲み会をしていたが、その他は、ただただひっそりとしていた。隣のギリ・トゥラワンガンからはパーティーで流している音楽の重低音が聞こえてきた。カウントダウンの瞬間は一人でビーチに出て、ipodで音楽を聴いていた。周りには誰もいない。わずかに雲の合間から星がいくつか顔を覗かせていた。隣の島からのパーティーの音、空を照らす照明、そしてこの島の波の音。トゥラワンガンとは逆の隣の島ギリ・アイルでは花火が打ち上げられていた。そんな中、2007年がやってきた。明けましておめでとう!