2007年1月10日水曜日

DAY 19 香港を彷徨う













1/10(WED)

今日は、香港ディズニーランドへ行こうかどうか迷った挙句、持ち金も少なかったので行くのをやめた。そしてゆっくり身支度をし、昼ころ街へ繰り出した。夕べの夜景もそうだし、バリ島も、そして行くのをやめたディズニーランドも彼女がいればもっと楽しめるのにな~。ま、一人旅の切なさ、黄昏も快感なんだけどね。とりあえず食事へ。昨日は少々中国人パワーに圧倒されてしまった飲茶を今日は落ち着いて楽しむことにして、ベイサイドのまあまあイイレストランに入った。昨日のローカル飲茶とはがらりと変わり、とても優雅に落ち着いて楽しめた。まずはプーアル茶を頼み、続いて点心を頼んだ。海老蒸し餃子にチャーシューまんと豚の皮をかりっと焼いたヤツとそしてご飯も頼んだ。デザートまで行きたがったが、すぐに腹がいっぱいになったのでやめた。そのあと、ベイサイドエリアを散歩。香港の映画スターの名前や手形が埋め込まれてあるストリートを歩く。ブルース・リーの銅像もあった。その後はショッピングモールを一周し、少し早いけど、ナイトマーケットへ。まずはマーケットの近くの老舗のお香屋さんで実家にお香のお土産を買った。そのあと、通りの角にあった店で名物の亀ゼリーにトライ。注文するまで中国ババアと格闘。にわかに覚えた「亀ゼリー」という中国語で注文。大きさを選べるようだ。一番小さいのを頼むと、「ええーっ、小さいのー?大きいの食べなさいよ!」とババア。亀ゼリーは苦いらしいので蜂蜜でもかけてほしかったので、身振り手振りでお願いすると、強引に「いいから、いいから!」みたいな感じで、テーブルの上にあった砂糖をドバっとかけてくれた。そして何とか食べるところまでたどり着けた。本当に中国人は常に怒っている口調。だんだん腹が立ってくる。人口が多く、大勢の人の中で自らを表現するためには、これだけ強引な怒ったような口調と、大げさなゲスチャーが必要なのだろうか。その後はナイトマーケットをぐるりと歩き、一旦宿へ戻った。そしていつものように雑居ビルの中のネット屋へ。ここの雑居ビルにはインド人が多く、あちこちに小さなインド料理の店がある。カレー好きの俺はとうとう我慢ができなくなり、カレーに手を出してしまった。ちなみに今いる雑居ビルの中はこんな感じ(左の写真)。いよいよ明日帰国。これにて旅日記を終了する。最後の晩餐はカレーで華々しく飾りこの旅を締めくくる。

2007年1月9日火曜日

DAY18 香港100万ドルの夜景!














1/9(TUE)
朝、この安宿の狭いシャワー室でシャワーを浴びようとしたら、なんと排水口から水が逆流していた。すぐに宿の従業員を呼んで何とかするように、つまり違う部屋を用意するように言ったら、すぐには何とかならなかったので、今夜と明日の宿泊はキャンセルして、隣の宿に移ることにした。今滞在している宿は巨大な雑居ビルの中にあり、同じような安宿が幾つか並んでいるのだ。シャワーを浴びて昼ころから、今日はとことん香港の街を歩きまくった。まずは香港島に渡り、飲茶を経験したかったので、あえてローカルなレストランを選び、入ってみる。ものすごい人だ。なかなか席が空かず、しばらく立ち尽くしていた。やっと空いた席に座る。円卓で、他の人と相席だ。まずはお茶を頼み、点心のワゴンが来るのを待つ。周りの人たちの様子を見ながら、いくつかの点心を食べてみた。うまい。でも人がごった返していて、とても綺麗とはいえないその状況は落ち着かなかった。しかしローカルな飲茶を体感できてよかった。2階建てのトラムに乗ったりしながら香港島の都会の中をひたすら歩き回った。途中、サトウキビジュースで喉を潤す。カンボジアで飲んだ物よりおいしかった。最後はビクトリアピークから香港の夜景を堪能した。本当に100万ドルだった。函館も負けてはいないが、金額ではかなわないだろう。っていう感じ。マジでゴージャスな夜景だった。
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2007年1月8日月曜日

DAY 17 香港上陸














1/8(月)

朝6時ホテルのフロントへ行き、チェックアウト。昨日、交渉しておいたおかげで、まあまあいいワゴン車で空港まで無料送迎。快適。予定通り飛行機は香港へ。1時半頃到着。さ~て、どうしようか・・・。香港についてはほとんどノープラン。飛行機の中で少し「地球の歩き方」を読んだだけ。荷物を受け取り、税関を通過・・・あれ?荷物の番号チェック無し。台北も同じだった。他の誰かが荷物を持って行ったらどうするんだ香港よ?!!税関を出てすぐのところのホテル予約カウンターに行く。そこでは最低で9千円レベルのホテルしか扱っていなかったので、自力で探す事に。空港内にはあちこちに無料の公衆電話がある。それを使って、「歩き方」に載っていた安宿に電話する。少しだけ英語の話せるおじさんが出る。やけに「シャ、シュ、シェ、ショ」の音が多い英語で聞きづらい。しかも「OK、OK」を多発。なんとなく誠実な感じだったので、そこまでの行き方を聞き、名前を伝えて、電話を切った。指示通りエアーバスという空港と市内を結ぶバスに乗る。A21番。だいぶ都会的なところまで来たので、空港にあった地図と外の道路標識を見ながら現在位置を確認。しっかし香港はアホみたいに高い建物ばかりだ。信号で止まった時に、見えたアパートの階数をざっと数えたら40階以上あった。そんな建物ばかり。地震や火事などの災害があったらどうするのか・・・。耐震設備は万全か?避難訓練はやってるのか?ものすごい災害対応能力がある人種ばかりなのか??そろそろ目的地かなと思われるところまで来たので、注意深くバスが停まるたびに外を確認した。するとB4サイズくらいの紙に「MR.SATOSHI」と書いて俺を待っているおじさんを発見。ずっと俺の事を待っていてくれたのか?!!その誠実さに感動。実際このおじさんがいなかったら、この香港の雑踏の中、どうして良いか分からなかったであろう。おじさんについてバス停近くの雑居ビルの中へ、ドンキホーテのようにビルの中はゴチャゴチャしている。エスカレーターで4階へ。そこから階段を上って5階へ行く。ビルのほんの一角で宿を営んでいるようだ。部屋を確認。・・・!!3畳ほどのスペースにベッドが二つ。片方のベッドの足下の上にテレビが設置してあり、部屋の入り口のすぐ横に電話ボックス2つ分くらいのユニットバス。そこにはシャワーとトイレが無理矢理押し込まれてある。「おおおーっ」これが香港の安宿か。「ま、いいか」。チェックイン。少し休憩した後、街へ繰り出す。もう少し良い部屋はないか、他の雑居ビルの中へ、そこにも同じようにビルの一角で営まれている安宿がいくつかあった。その一つにあたってみる。部屋を確認したところ、先ほどの宿と変わりなし。このレベルの安宿は皆同じだと判断し、部屋探しは終了。ふと、同じフロアーのドアに目をやる。一つには「タージマハル」。もう一つのドアには「アフリカンレストラン」と書かれていた。なんとなくアフリカンレストランに入ってみる。中は、行った事ないけど、完全にアフリカだった。質素な内装、黒人の客がちらほら、俺が入って行くと皆がこっちをじろじろ見てくる。大柄な黒人の店員が来たので「座ってもいい?」と聞くと、「もちろん」。メニューがないようなので、外に出て、玄関先にあった写真で注文する料理を選んだ。大柄な店員と一緒に。トマトソースの料理と、マトン&フライドライスで迷っていたら、「マトン&・・・を頼みなさい。トマトソースのやつはサービスするから。」というのでそうすることに。コーラを飲みながら料理を待つ。こうして黒人に囲まれると、少し怖い。若い女性の店員が料理を持って来てくれた。・・・!!多すぎる!!骨付きのマトン一皿と、フライドライスが、少なめに見ても3人前以上のデカイ皿に盛られて来た。さらに、中くらいの器にトマトソースの煮物と、なぜか頼んでいない白飯が大きな皿にいっぱい盛られて出て来た。「これは多すぎるよ」と言うと、「この御飯は、トマトソースに合うから食べて。お金はいらないから」だって。チャレンジ開始。でもどう考えても食べきれる量ではない。大食い選手権並み。店の人に「多すぎるから、良かったら一緒に食べよう。」と言うと、「残しても構わないよ。アフリカ人は大食いなんだ。気にするな。」だって。なんとかマトン全部と、御飯を3ぶんの1くらい食べてギブアップ。「ごめん、美味しいんだけど、どう頑張っても無理だわ。」と言うと、「気にしないで」と若いおねーちゃんは言う。会計をしたら、「端数はいらないから」、とさらにサービス。なんて親切なんだこの人たちは。こうして香港の第1食目はアフリカンからスタートした。さて、街に繰り出そう。 ところでここのネットカフェ、マックなので写真のリサイズの仕方が分からない。店の人も「ウィンドウズなら分かるんだけど、これマックだからねー」だって。誰かマックの使い方教えて。

2007年1月7日日曜日

DAY 16 スラバヤにて

1/7 朝5時、ホテルを出発し空港へ。チェックインを済ませ、空港税なるもの25000Rp払い、中へ。レストランで、ビーフシチューみたいな料理を食べる。7:05予定通りジョグジャカルタ出発。50分後スラバヤに到着。まずはホテル探し。空港内の予約カウンターで、街の中心部にあるインナシンパというホテルを予約。3星らしい。チケットタクシーでホテルへ。チェックインしてまずは昼寝。午後から街へ繰り出そうと、シャワーを浴びようとするが、普通の蛇口とシャワーの切り替えレバーが無い。すぐクレーム。直しに来たが、時間がかかりそうなので、部屋を変えさせられた。再びシャワーを・・・。今度はシャワーのヘッド部分の手で持つあたりから水があちこちに噴き出す。頭にきて強めにクレーム。シャワーのヘッドを取り替えた。修理の人がバスルームの床を汚したので、掃除させる。外出するのにたっぷりと時間がかかってしまった。貴重な旅の時間をわずかでも犠牲にされてキレた俺はフロントへ。デューティーマネージャーとやらに散々文句を言って、誠意を見せてもらうことに。明日の朝の空港まで車で送ることで決着。旅も後半に差し掛かり、キレやすくなっている。要注意。ホテルの近くのショッピングモールで、今こうしてネットをしている。これでやっと旅日記が追いついた。このあと、ご飯を食べに行こうと思う。

2007年1月6日土曜日

DAY 14・15 ボロブドゥールでサンライズ




1/5


朝の飛行機でジャワ島ジョグジャカルタに向かう。ジョグジャの空港で7日のスラバヤ行きのチケット購入。ライオンエアー219000ルピア。ホテル予約カウンターで、ボロブドゥールの遺跡の敷地内にあるホテルマノハラを予約。325000ルピアするが、宿泊者は遺跡への入場料11$がフリーになる。タクシードライバーと交渉しホテルへ。遠くからボロブドゥールのシルエットが見える。世界最大級の仏教寺院遺跡、デカイ。ホテルにチェックイン。外にあるホテルのレストランからもボロブドゥールが見える。早速、遺跡見学。何層もの回廊からなっている遺跡を一層ずつじっくりと見ながら上へ。頂上にはストゥーパが多数あり、それぞれのストゥーパの中に仏像が納められている。そこから夕日を見たかったが17:30で閉門。一旦ホテルへ戻り、田舎町ボロブドゥールを散策する。イスラム教徒がほとんどのこの地。お祈りの時間なのだろうか、お祈りの声が町に響く。どこかでスピーカーで流しているようだ。道端の屋台でバナナ入りのドーナツを買い、食べてみる。うまい。真っ暗になった町をイスラムの祈りの声を聞きながらホテルへ戻る。


1/6


朝4:45.日の出を見にボロブドゥールへ出発。もちろん開門前なので、ホテルマノハラ主催の特別ツアーに参加しなければならない。102500ルピア。軽食と飲み物、そして懐中電灯つきだ。真っ暗な中、遺跡を登っていく。5:30過ぎ、東の空から日が昇る。遺跡の周囲に広がる森には朝もやがかかり、遠くに見える山が朝日に照らされる。なんとも言えない壮大さ。とても神聖な空気が流れる。朝日を眺めた後、再びじっくりと遺跡を見て、6:30ころには遺跡を降りた。その頃、一般の見物人がぞくぞくと遺跡に入ってくる。午前中のうちにジョグジャカルタへ移動し、ホテル探し。「歩き方」にも乗っているホテルアジアアフリカに決定。雇ったタクシーで町の市場を2つ散策した後、プランバナンの遺跡へ。日中の暑い日差しの中、巨大な遺跡を見て周り、町へ戻った。夜、ネット屋でメールの確認と旅日記を書いていたところ、いきなり停電。一度ホテルに戻り、待機。ろうそくの明かりで2時間過ごす。電気が戻ったので再びネット屋へ。一通り用を足して、この日は終わった。

2007年1月4日木曜日

DAY 13 はるばる来たぜキンタマーニ








1/4(木)

今日は朝早くから、雇ったタクシードライバー、マディとともに、バリの中部、ウブドゥに向かう。芸術好きならたまらない町であろう。だが、俺はちょっと見るだけでよかった。まずは町の南にあるモンキーフォレストというサルの公園へ行った。森の中、入り口から早々サルが出迎えてくれる。人間慣れしていてものすごく近くでサルと触れ合うことができる。次は少し郊外へ足を伸ばし、ライステラスの眺めのいいところで写真撮影。「あ、これ社会の教科書で見たやつだ」っていう景色が目の前の谷間に広がっていた。そして次は北へぐーんと走って、本日の最終目的地「キンタマーニ」!!これはこの地域がそう呼ばれてもいるし、町の名前でもある。ここは高原地帯で火山があり、カルデラができている。まずはその山の上のカルデラ湖が一望できるレストランで昼食。ご飯と色んな料理を一皿に盛って食べるナシチャンプルを食す。そのあとはキンタマーニの町へ。この辺では主要な寺院を見学。次はカルデラ湖の湖畔にある温泉地域へ。天然の温泉があるところへ行ったが、現地の人がその中で体を洗ったり、選択したり、食器を洗ったりで、汚くて温泉に浸かる気がうせた。帰りにウブドゥのマーケットを散策。ホテルに戻る前に天気がよかったのでクタのビーチへ。きれいな夕焼けをGet!
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2007年1月3日水曜日

DAY 11・12 ばりばりバリ島













1/2(TUE)

とうとう無事にバリに到着。空港で、レギャンストリートという少しにぎやかな通り沿いのホテルを予約。チェックイン後、通りを散策。数百メートル歩いたところに2002年のテロがあった現場があった。今はモニュメントが出来ていて、犠牲者の名前が刻まれている。午後からはホテルのタクシードライバーを雇い、観光。基本的に海派ではない俺がシュノーケリングをしてしまった。そのままボートで亀の島と呼ばれている島で、亀やニシキヘビやオウムやコウモリと戯れた。その後、バリの代表的な寺院のひとつ、ウルワトゥ寺院へ。バリの南に位置するこの寺院は断崖絶壁に建てられ、夕日の景色が最高!のはずなんだけど、やはり今日も曇り。ま、夕日がなくてもその眺めの美しさに感動し、そのまま敷地内で行われるケチャダンスを鑑賞した。本来は屋外で行われているようだが、今日は悪天候のため屋内ステージ。大勢の観光客に囲まれての公演だったので、その神聖さに欠け、面白みがなかった。


1/3(WED)

今日はゆっくりと昼まで寝て、午後からはまたタクシーを雇い、これまたバリの代表的な寺院、タナロット寺院へ。海にぽつんと浮かぶ岩礁の上に建てられたこの寺院はやはり、その眺めが壮大で美しい。ここも夕日のスポットだが本日も雲のせいで夕日が見えず。帰りにショッピングモールに寄った後、ドライバーが2005年のテロの現場の前を通ってくれた。このあたりは店が立ち並び、ショッピングを楽しむ人で賑わう場所だ。今はその現場にはTシャツ屋が営業していた。元はカフェがあったらしい。カバンに入れた爆弾をテーブルの下に置き、爆破。「キチガイだよ」とドライバーはつぶやいた。夜にのんびりとネット屋で旅日記を書き、メールの整理をした。明日は早起きしてバリ内部へ足を運ぶことにする。

2007年1月1日月曜日

DAY 10 ロンボクで1泊




1/1(MON)


早朝に起きてビーチへ。雨は降っていなかったが、あいにくの曇り。数キロ先のロンボク島にあるリンジャニ山越しに日の出が見えるはずだが、ちょうど雲で隠れている。相変わらず周りは波の音だけ。とても静か。6:30頃諦めかけたとき、少しだけ太陽が顔をのぞかせた。初日の出万歳。今日はギリ・メノを発ち、バリへと向かう。既にバリ前の移動の手配は済んでいる。8:00、ボートでギリ・メノを出発20分ほどでロンボク島バンサル港に到着。1時間待って、次はワゴン車でレンバル港へ。2時間後到着。ところが、これでもか!というくらいの豪雨。そんな中、フェリーに乗り込み、12:30レンバル港を出発。前の席のロンボクの兄ちゃんと、隣のロンボクのお姉さんと仲良くなり、色々と話をする。外は相変わらず豪雨。さらに高波。フェリーがこんなにも傾くのかと思うほど、揺れまくる。2時間後、現地語でアナウンス。前の兄ちゃんに何て言ったのか聞くと、「波が高くて危ないから引き返すだって」だって!また2時間掛けて、これでもかというほど揺れながらレンバルへ。港は大勢の人でパニック状態。何とか今日中にバリに行かないと、ゆったりスケジュールが崩れてしまう。でもこのパニックの中同行動すればいいのか…。とりあえず今日中にバリへ行くにフェリーを捨てて、飛行機で行こう!そう思い立って、空港までの足を捜す。目が合ったワゴン車のドライバーに交渉すると25000ルピアで交渉成立。インドネシア人の家族と共に空港へ。彼らも飛行機に切り替えたようだ。空港のガルーダ航空のカウンターで問い合わせてみると、今日の便は既に満席。でも明日朝一の便が1席空いていたのですぐにチケットを購入。空港のホテルリザベーションカウンターで手ごろなホテルを予約して、今夜はロンボク島のマタラムという町に足止め。

DAY 8・9 ギリ・メノでの年越し 













12/30、12/31 



ギリ・メノでは、本当にのんびり過ごした。海で泳ぐ以外は何もすることがない。毎日、ぶらぶら散歩をしたり、食堂で時間をつぶしたり・・・。島を見て回るとしても、2時間あれば浜辺づたいに島を一周してしまう。ここの島は時間もゆったり流れ、さらに人々ものんびりしている。何も急ぐべきものがないからだ。まさにリラックス空間である。ただ、今は雨季なので、なかなか青空にめぐり合えない。夜、浜辺に出ても星が見えない。夕日を見に島の反対側へ行っても太陽が見えない。大晦日の夜は、隣の宿で何人かの欧米人が飲み会をしていたが、その他は、ただただひっそりとしていた。隣のギリ・トゥラワンガンからはパーティーで流している音楽の重低音が聞こえてきた。カウントダウンの瞬間は一人でビーチに出て、ipodで音楽を聴いていた。周りには誰もいない。わずかに雲の合間から星がいくつか顔を覗かせていた。隣の島からのパーティーの音、空を照らす照明、そしてこの島の波の音。トゥラワンガンとは逆の隣の島ギリ・アイルでは花火が打ち上げられていた。そんな中、2007年がやってきた。明けましておめでとう!