2007年8月8日水曜日

DAY 10・11 さらばカンボジア、台北へGO!












8月7日(火)
朝7時半前にチェックアウト。宿の前にいたトゥクトゥクでぷノンペン国際空港へ向かう。ドライバーは年配の人でとても腰が低い。荷台を牽いているバイクはおんぼろバイク。町の中心部を抜けたところで、路上のガソリン屋で給油。ドライバーは待たせることを申し訳なさそうに「ソーリーソーリー」と言ってくる。カンボジアでは大き目のジュースなどのペットボトルヤビンにガソリンを詰めて、それを道端で並べてガソリンを売っている露店が多い。給油が終わり再出発。少し走ったあたりからドライバーが何やらエンジンのあたりを気にしだす。間もなくまたトゥクトゥクを止めて、「ソーリーソーリー」と言いながら、エンジンを点検し始める。何かが調子悪いらしい。それほど時間はかからず、問題は解決したのかわからないが、またまた出発。こんどは無事空港までノンストップ。4ドル払ってドライバーとお別れ。プノンペンの空港は以前に来たときよりも新しくきれいになっていた。チェックインを済ませ、空港使用税25ドルを払い、出国審査を受けて、いよいよカンボジアともお別れ。10時50分台北へ向けて出発。 15:30台北に到着。外は雨。ホテルのリザベーションカウンターで安目のホテルを探す。1700元のホテルに決める。安宿もあったが、最後くらいは日本並みの金額を払って安らぎを求めた。市内へ向かうバスに乗り、チェックイン。ショウロンポウを食べる以外は特にやることがなかったので、前回来たときと同じようなコースを巡ってみた。龍山寺、西門、TAIPEI101。そして腹もすいてきたので、士林夜市へ行き、前回はなぜか台北でも香港でも食べなかったショウロンポウと、えびチャーハンを頼む。屋台らしく安っぽいショウロンポウだったけど、おいしかった。帰りに足つぼマッサージをしてホテルへ。 8月8日(水) 今日はいよいよ帰国。朝6時半にホテルを出て、バスで空港へ。チェックインをやら出国手続きを済ませて、今は出発フロアーの片隅にあるインタネットサービスで日記を書いている。台北南部では台風が通過したそうだ。でも北部のこの辺は大丈夫。 この旅の日記はこれで終了。帰国後まずは何を食べようか頭がいっぱいだ。カツカレーか、ウナギか・・・

2007年8月6日月曜日

DAY 9 番外編「ポル・ポト、テメぇー!」












今日は、わずかな時間だったが、改めてカンボジアの悲しい歴史に触れてきた。トゥール・スレン博物館は以前学校だった建物。4棟ほどの3階建ての校舎がコの字型に並んでいる。まずは拷問を行っていた鉄製のベッドと足かせがそのまま残されている部屋(教室)がある棟に入る。重い空気が感じられる。どの部屋にも寂しく鉄製の骨組みだけのベッドとアシかせがぽつんと置かれており、壁にはここで拷問を受けて殺された人の写真が飾られている。2階、3回にも同じような部屋がある。どの部屋も入ってすぐ横の壁には黒板があり、以前は教室として使われていたことを物語っている。次の棟には教室が細かくレンガで仕切られた独房が残されている。この暗く狭い場所で独り、殺される恐怖と戦っていた心境を想像すると恐ろしくなる。次の棟には収容されてた市民の写真が無数に展示されている。どの写真も悲しそうな、そして呆然とした無機質な表情ばかり。ここに収容され、殺されるのを待っていた彼らの心境がリアルに感じられる。さらに先へ進むと、いくつかの拷問の道具と、その使われ方の写真や絵がある。よくもまあ、こんなに惨いことをしたもんだ。ここまでくるとだんだんと腹立たしさがこみ上げてくる。ここで殺された多くの死体はキリングフィールドに運ばれた。キリングフィールドと呼ばれるその場所には無数の死体が埋められていたそうだ。さらに、したいが掘り起こされた草むらの片隅に「子供をたたきつけた木」という説明の看板が立てられている木があった。なんてことを…。掘り起こされた多数の穴のそばに大きな慰霊塔が立っており、その中には無数の遺骨と、衣類が安置されている。ここまでの残酷な真実を目の当たりにすると、どう受け止めていいのやらわからなくなる。ただただ、目の前の光景をあっけなく、そして呆然と見るしかできない。 なんてことをやらかしたんだ奴は!何がそうさせたんだろうか?同じ過ちをこの世界からなくすためには何をすればいいのだろうか??

DAY 9 はるばる来たぜプノンペン
















8月6日(月)



今日は朝から雨。いよいよシエムリアプ出発。6時半にキャピトルツアーのオフィスへ行き、バスターミナルまでの送迎バスに乗る。15分ほどするとたくさんの長距離間バスが停まっているバスターミナルに到着。今日はここからプノンペンを目指す。フロントガラスに「C」と書いてあるカードが貼られたバスに乗る。中はエアコンがききまくっていて寒い。トレーナーを出しておいて正解。定刻より20分ほど遅れてバスは出発。ipodで音楽を聴きながらすぐに熟睡。目が覚めると、第1回目の休憩タイム。終点まで2回の休憩タイムがあった。午後1時半、6時間かかってようやくプノンペンに到着。バックパッカーのメッカでもあるキャピトルというゲストハウスの前でバスから降りた。キャピトルから小道を少し行ったところにあるナイスゲストハウスという宿にチェックイン。1泊10ドル。値引きもできそうだったけど、即決め。荷物を置いてわずか半日のプノンペン観光。とは言っても、ここにくるのも3度目、もう行くところが決まっている。カンボジアの歴史の復習観光。トゥクトゥクを5ドルで雇い、まずはキリングフィールドへ向かった。ここはポル・ポト政権の時代にプノンペンで殺された多くの市民が埋められた場所でもあり、ここでも多くの人が殺された。シエムリアプのものよりも大きな慰霊塔の中には無数の遺骨が安置されていた。周辺の草むらにはあちこちに大きな穴が掘られており、そこから出てきた遺骨を安置しているのだ。次に向かおうとしたときドライバーが「見るだけでもいいからすぐ近くの射撃場へ行こう」と言って、射撃場へ連れて行かれた。実は5年前にも別な場所だったけど射撃場へ来てM16と拳銃を撃ったことがあった。今回は特にその気はなかったので、射撃場と、たくさんの銃を見て帰ってきた。で、次に向かったのがトゥール・スレン博物館と呼ばれるポル・ポト時代の負の遺産。ここは元学校で、多くの市民が収容され、拷問を受けたり、殺されたりしたところだ。何度きても、気持ちがどんよりし、悲しさや、腹立たしさが、複雑に沸き立ってくる。歴史復習ツアーを終えて、宿から歩いてオールドマーケットへ向かう。やはり首都だけあって、ものすごい数の人と、車と、バイク…。途中疲れたのでラッキーバーガーというハンバーガーショップでハンバーガーとオレンジジュースを飲む。ハンバーガーは一番シンプルなやつで1ドル。日本のマックより高い。オールドマーケットはメインの建物がもう閉店しており、周辺の屋台や露天を見学した。あちこちから炭焼きの匂いや、炒め物匂いがしてくる。そろそろうす暗くなってきたので、バイクタクシーを捕まえて、日本人が経営しているクラタペッパーという店でカンボジアの胡椒を買う。明日はいよいよ台北に戻る。今回は飛行機の接続が悪いので台北で1泊する。何を食べようか今から楽しみだ。

2007年8月5日日曜日

DAY 8 チャリでアンコールワット
















8月5日



予定では今日の朝、ここシエムリアプを発とうと思っていたが、もう一日延ばした。今朝は遅めにおきて、ホテルの自転車を借りて出発。次の町までのバスを扱っている代理店で明日朝のバスを手配する。朝ごはんは何を食べようか自転車をこぎながら自分の腹と相談するが、なかなか答えが出ない。そのまま町から出てしまい、朝ごはんを食べるタイミングを失った。北へ向けて自転車をこぐ。空はどんより曇り空。嫌な予感。少しずつ雨が降ってきた。スコールまではいかないが、長続きしそうなレベルの雨。周囲には青空も見えない。途中、木陰を見つけて雨宿り。バイクタクシーのドライバーも4,5人雨宿りしていた。そのうち1人のドライバーがこちへやって来て話を始めた。昼間はバイクタクシーの仕事をして、夕方から夜間学校に通い、将来はどこかの会社に入りたいと身の上話をしてきた。今日の天気予報を聞くと、やはり一日中雨だそうだ。チャリの選択失敗。でも引き返すのも面倒なので、そのまま行くことにする。雨宿りをしていた、すぐ目の前がこの町のキリングフィールドだった。そこはポル・ポト時代に虐殺された多くの人の遺骨を慰霊塔の中に安置しているところで、敷地内には当時収容所として使われていた建物もある。今は僧院になっており、僧侶の姿があちこちに見られる。このようなキリング・フィールドと呼ばれる場所はカンボジア各地に存在するそうだ。そこを後にして、雨の中、アンコールワットを目指す。4分くらいかかり到着。天気が悪いせいか一昨日来たときよりもはるかに人の数が少ない。入り口からゆっくりと写真を撮りながら中へと入っていく。やはり人がまばらで、とても落ち着いて見学することができた。中央の塔まで時間をかけてたどり着いた。中央の塔へは階段で登ることができるのだが、その階段が45度くらいある超ハードな代物だ。何度登っても足がすくむ。中央の塔に登ってみると、そこもほとんど観光客がおらず、初めてここへ来たときのように、ゆっくりと静かに時間をすごすことができた。たっぷりとアンコールワットを堪能した後、次はまたアンコール・トム内のバイヨンという寺院へ向かった。ここも人が少なく、ゆっくりと見学できた。雨だけど、今日はラッキー!一通り見て、いよいよこれら遺跡群ともしばらくのお別れ。次はいつ会えるのだろうか。アンコールワットを背に、町へ向けて自転車をこいだ。あっ、ご飯食べてない!時間はもう午後2時を過ぎていた。雨も振り続けている。疲れて、服もぬれて気持ちが悪いので、どこか綺麗で、冷房の効いているところを探す。昨日寄った、アンコールワット・クッキーを売っている店のカフェに入る。残念ながら食事のメニューはなかった。仕方ないので、スイカのシェイクを飲む。少し休んで、再スタート。なんとなくカレーが食べたくなったので町中でインド料理屋を探す。先日食べたところよりも質素な店を発見。ノンベジタリアンターリーを注文。ここのカレーはうまかった。豊平峡温泉には負けるが…。さて、これでこの町でのメニューは終了。いよいよ帰国の準備を始める。

2007年8月4日土曜日

DAY 7 初プノンクーレン、またまたまたバンテアイスレイ
















8月4日(土)



朝8時に、ドライバーのヤンと出発の約束をしていたので、5分前行動でホテルのロビーに下りる。まだ姿はない。隣の食堂でパンケーキをテイクアウトで頼んで、出来上がるまでバナナシェイクを飲んで待つ。なかなかヤンが来ない。パンケーキも出来上がり、ホテルの玄関先にあるいすに座って待つ。なかなかヤンが来ない。パンケーキを広げて食べる。なかなかヤンが来ない。するとホテルの従業員が「ドライバーから電話が入ってるよ」と呼びに来たのでフロントの電話に出るとヤンだった!!「寝坊しました。ごめんなさい。今すぐいきます。」結局50分遅れでヤンが到着。昨日のうちに今日向かうプノンクーレンのチケット代を20ドル払って買ってきてくれることになっていたので、まさかそのまま…という心配もしたが、ちゃんと来てくれたことに嬉しくて、普段だったら50分も待たされたら切れているところを、今回は特例の仏心で許してあげた。そして出発。1時間ほどは田園風景の中を走る道路が舗装されているので、のんびりと畑仕事をしている人たちの姿を見ながらくつろげたが、途中から土の道になった。カンボジアによくある赤土の道。この道になったとたんあちこちに水溜りやでこぼこがあり、ゆっくりと風景を眺めてはいられない。これぞカンボジアンロード!ホテルから1時間半くらいのところでプノンクーレンの山のふもとのチェックポイントに到着。ここから道が険しくなるので、トゥクトゥクの荷台をはずし、バイクで2人乗りして山を登る。30分ほど山の中を走りぬけ、目的地に到着。川底にある彫刻や、岩をくりぬいて作った大仏を見た後、ハイライトの滝を見に行った。ここはカンボジア人たちがピクニックに来て、水浴びをしたりするようなところ。林の中の階段の道をしばらく降りて、岩の合間を潜り抜けると、目の前に大きな滝が現れた。マイナスイオンたっぷり!!滝つぼ周辺はプールのようになっていて若者たちが泳いでいた。しばらくマイナスイオンを全身で感じて、引き返す。近くに彫刻がきれいに残っているバンテアイスレイという遺跡があるのでそこに立ち寄る。ここも毎回訪れているところなのだが、やはり来るたびに、状況が変わってきている。初めてきたときは立ち入り禁止ゾーンなどなくきれいで貴重な彫刻を間近で見ることができたが、今は完全にロープが張られ、離れたところからそれを見学できなくなっている。残念。そして人の多さ!!こんな場所に不自然なほどの数の観光客が団体で押し寄せてきている。昨日のアンコールワットよりももっと韓国人の団体が多い。どうしたんだ韓国??最近行く国々、どこでも韓国人だらけなんだけど。そんな遺跡を後にして、次は地雷博物館と呼ばれている施設に向かう。つい最近場所を変えてリニューアルしたばかりだ。ここも前回訪れて、感動した場所だったのではずせないスポットだった。自らが兵士として地雷を埋めてきた一人の男性が、平和になった今、その償いとして地道な地雷除去活動を行っており、そこで除去された地雷や不発弾を展示して平和を訴えている施設だ。前回訪れたときの古い建物とは段違いにきれいに、そして立派になっていた。ここでもカンボジアの悲しい歴史のほんの一端を味わうことができる。今の自分には何ができるのだろう…?町に戻り、オールドマーケットで買い物をし、クメールキッチンという食堂で魚の炒め物を食べる。もう一日この町に滞在することに決めた。

2007年8月3日金曜日

DAY 6 久しぶり!アンコールワット!
















8月3日(金)



夕べは、顔、首、腕、膝、すねがヒリヒリ痛くて、何度も目が覚めた。フツーだったら問題ないのだが、エアコン付の部屋が恋しい。よし、今日は宿をグレードアップさせよう。洗面所の水も排水が一度壁の中に入っていくように見えるが、ふと床を見ると、小さな穴からボコボコボコって泉のように排水が湧き出し、シャワーの排水溝に流れていくという仕組みになっていた。この手の宿ではありがちなのだが、プチ神経質な俺はより質の高い宿を求めて、午前中に町に出た。何件か部屋を見せてもらって、最後に決めたのが、オールドマーケットの近くの地味だけど小奇麗な宿。エアコン、ホットシャワー、付で13ドル。しかもテレビも冷蔵庫もついている。そしてものすごくキレイに保たれている。これで快適な居場所を確保できたので、日焼けに苦しんでいる体も癒されるはずだ。午後から10ドルで雇ったトゥクトゥクで軽く遺跡めぐりに出かける。ジャングルの木に飲み込まれそうになっている「タプローム」、ピラミッド型の「タケオ」、濃密な空気が流れる「バイヨン」を見た後、近くの食堂で遅めの昼ごはん。野菜と卵のチャーハンを食べた。途中、周りのみやげ物売り屋の人たちがあわただしく動き始めた。空が急に暗くなり始めたかと思うと、いきなりスコールが降り始めた。10分ほどで収まったので、すぐに次へと向かう。「アンコールワット」。5年ぶりのアンコールワットは遠くからも見えるほどの修復用のシートがところどころに張られており、さらに想像を絶するほどの観光客の数で、前回とはまたかなり雰囲気が変わってしまっていた。9年前に初めて来た時は、修復作業も目立たず、団体客なんてほとんど見なかった。それが、数え切れないほどのバスと、添乗員の後ろをついて回る数え切れないほどの団体ツアー客。以前は静かだった回廊も、今回は渋滞状態。立ち止まってガイドの説明を聞いている人たちを次々と追い抜いていく。韓国語、日本語、韓国語、韓国語、中国語、日本語、韓国語、フランス語、日本語、韓国語…、ってな具合に各国のグループが次から次へと並んでいる。我が物顔をするつもりはないが、こんな光景は残念だ。さらに、崩壊が進んでいるため、ここへ来るたびに、アンコールワットの姿が修復のための足場や、シートで覆われて隠されていっているのがものすごく残念だ。初めてきたときは、正面の頂上まで延びる階段が綺麗に姿を現していて、そこから頂上まで登ることができた。さらに人もこんなにおらず、時々僧侶たちが歩いていたりして、静かな空気が流れていた。ところが今はその静かな空気がどこかへ行ってしまったようだ。大好きなカンボジアを支えている観光資源だから、このある意味での急成長ぶりを喜ぶべきなのだろうが、あのころの良き姿を知っているだけに寂しい気持ちでいっぱいになった。明日も来ることにして、今日は軽く済ませて、宿に戻る。シャワーを浴びて、オールドマーケットや、レストランやカフェやおしゃれな雑貨屋がならぶバーストリートを散策する。ふと通りがかったカーマスートラというかなり綺麗目のインド料理屋についつい自然と体が吸い込まれて、インドカレーの定食「ターリー」とラッシーを頼んだ。味は…、まずくはないが、豊平峡温泉の5分の1くらいのおいしさでした。特にナンはお粗末なものでした。この辺では高級の部類に入るレストランなのに…。明日は郊外へ足をのばす。今夜は快適な部屋が俺を待っているかと思うと、早く帰りたくなってきた。では。

2007年8月2日木曜日

DAY 5 ボートでシエムリアプ












8月2日
今日は朝から天気は曇り。ボートでの長時間移動なのだが、雨は降らないだろうか。ホテルに迎えに来てくれたワゴン車に乗り、ボート乗り場へ向かう。途中でもう1人乗ってきた。彼女はフィンランド人で、旅行プラス何かの調査でしばらくカンボジアに滞在しているそうだ。ボート乗り場に着くと、もうすでに出発準備完了。俺たちが一番最後の客だったみたい。平べったい、屋根付の客席があるボートなのだが、本来は荷物を積むはずの屋根にも乗ることができる。以前にもプノンペン行きのボートで試してみたことがあったので、迷わず屋根に乗る。スピードボートと呼ばれているわりにはゆっくりとした速さで川を下っていく。川岸には高床式の質素な家が並んでいる。その向こうにはただただ草原が広がっているだけ。午前中の早いうちは、この屋根の席は風が気持ちよく快適だった。隣に座っていた若い兄ちゃんが話しかけてきた。オーストリア人だった。大学を卒業したばかりで、世界旅行の途中だと言う。インドから出発し、タイ、ラオス、カンボジアと進んできたそうだ。出発前に買ったリュウガンというライチのような果物をくれた。甘くてさわやか!9時過ぎくらいから日差しが痛いくらいに強くなってきた。途中水上に浮かぶ商店兼簡単な食堂で休憩。ビスケットと冷たい水を買って、後半戦に備える。頭皮が焼けると辛いので頭にタオルを巻く。5時間ほどたったころ睡魔に襲われてついに仰向けになって眠ってしまった。1時間ほどで目が覚めたが、もうすっかり日焼けしてしまった。日サロに半年通ったくらいに焼けた。肌が出ているところが全て痛い。しばらくするとボートはトンレサップ湖という湖に出た。海のようにデカイ。7時間かかりようやくシエムリアプの船着場に到着。肌は黒焦げ。船から降りると、大勢のドライバーたちが客の争奪戦を始める。その中から見た目がやさしそうな兄ちゃんのトゥクトゥクをピックアップ。俺以外に2人乗るけど、1000リエル(R)でOKと言う。バッグをトゥクトゥクに積んで、他の2人をドライバーが探している間に、近くの露店で水を追加購入。戻るとすでに2人の客がトゥクトゥクに乗って待っていた。話してみると、2人ともアメリカ人で女2人旅の途中。さらに片方のアジアンアメリカンは以前に3年間日本で英語教師をしていたそうだ。10分ほど悪路を走ったところで、トゥクトゥクが止まった。タイヤを見るとパンク!!!偶然にもすぐ先にタイヤを修理できる店?みたいのがあり、そこでしばし修理タイム。やっと修理完了し、再出発。5年ぶりにやってきたシエムリアプの町は見違えるほどに変わっていた。高級ホテルが乱立して、おしゃれなカフェやレストランがたくさんできていた。そして来るたびに旅人の人数が増えている。これもこの国が平和になり、観光で急成長を目指している証拠だ。ファミリーゲストハウスという宿にチェックインした。トイレ、水シャワー、ファン付で1泊6ドル。シャワーを浴びて、ひとまず銀行へ。レートが悪いので道端の両替商で1万円をドルに換金。81ドルだった。ふと目の前の看板に目をやると「セブンイレブン??」まさかと思って近くでよく見てみたら、「セブントゥェンティ」だった。今後日本にも進出するかも。朝からまともな食事をしていなかったので、新しいレストランで、カンボジアンカレーを食べた。やはりココナツがたっぷりすぎて、俺には合わない。明日からゆっくりと遺跡めぐりをする予定。

2007年8月1日水曜日

DAY 4 バッタンバン郊外

















8月1日 朝8時、昨日お願いしていたバイクタクシー(バイタク)とともにホテルを出発し、郊外へ向かう。その前に街中の市場の食堂でサンドイッチを食べる。2人のバイクで田園地帯を1時間ほど走って、本日1つ目のチェックポイント、ワットバナンという遺跡につく。ここは小高い山の上にアンコールワットに似た遺跡が立っているところで、ミニアンコールワットと呼ばれているそうだ。頂上までは359段の階段を上らなければならない。俺が上り始めると、小学生くらいの子供たちが3人、団扇を持って付いてくる。これはこういった遺跡にはよくあることで、勝手に付いてきて、勝手に団扇で扇いでくれて、勝手にガイドをしてくれて、最後にお金をくれという、押し売りガイドなのだ。ま、そうとはわかっていても素朴な彼らに仏心が働き、追い払いもせず、ひたすら会話をしながら頂上を目指した。ところで彼らの歳を聞くと、3人とも中学生の歳だった。見た目はどう見ても小学生…。さらに3人とも流暢な英語を話す。どうやって覚えたのか聞くと、学校で習ったという。素晴らしい!やっとの思いで頂上まで上り詰めて、下界の景色を見る。見渡す限り平野が広がり、その向こうには山が見える。とてものどかで綺麗な景色だった。遺跡の片隅には塹壕があり、ガイドボーイズたちが「ここで政府軍がポルポト派に応戦していたんだ」と説明してくれてた。さらに「遠くからポルポト派がこの遺跡に砲弾を浴びせ、この遺跡を壊したんだ」と言って、崩れた遺跡の説明をしてくれた。そうしてガイドボーズ達とのひと時を終えて、次にワットプノンサンポーというこれまた山の上にある寺に向かった。ここは俺のドライバーが一緒について来てくれてガイドをしてくれた。山の上の寺の本堂の軒下で一休みしながら、ドライバーがカンボジアの歴史と自分の経験を軽石で床に図を書きながら語ってくれた。彼は1970年生まれで、75年から始まったポルポトの時代を幼少期に生きてきた人だ。彼と両親と姉は幸運にもこの時代を生き延びたけど兄はこの間に死んでしまったそうだ。話を終え、すぐそばの茂みの中の洞窟へ入る。階段でその中を降りていく。下から上を見ると降りてきたところとは別に上のほうに穴があり空が見える。恐ろしいことに、ポルポト派はあの恐ろしい時代にここで次々と穴から洞窟へ多くの人を突き落とし虐殺したそうだ。その後、ここの僧侶達が殺された人たちの遺骨を拾い集めて洞窟の下に安置している。また新たにカンボジアの悲しい歴史に触れることとなった。 下山して、ふもとの食堂で昼飯を食べてホテルに戻った。2つの山を上り下りしたので疲れ果てていたせいか、シャワーを浴びると、深い眠りについてしまった。夕方目を覚ますと、雷が鳴っている。途端にスコールが降りだした。考えられないくらいの量の雨だった。パネエ!! 明日は朝からボートでこの町を出る。